今回のテーマは、「春山 満と家族にとっての難病」。ラジオの中で哲朗社長が、「治療法がないからラッキー・・・」と述べている。とんでもない息子だ・・・なんて思う方もいらっしゃると思うが、それは考え方の違いだ。
ここからはちょっと、春山 満の一番弟子だからこそ言えることを自由に書くことにする。
もしも春山 満の難病が、治療によって治る病気だったら・・・どうなっただろう?
もちろん治療中は入院。看護師さんも大変だろうな、文句ばかり言われて。医者も今まで言われたこともない突っ込みを受けて困惑するだろう。きっと病室でタバコも吸い、酒も飲み、仲間と花札もやるだろう。
そして、晴れて退院となれば、仕事ももの凄くする。そして遊びももの凄くて、儲けた分全部吐き出す・・・まあ半分冗談だが、私の知る限りの春山 満は、きっと健康ならこんな豪快な感じだと思う。
ただね、ここで大切なことは、こんなもしも・・・の話など何の役にもたたないのだ。春山 満に「たら・れば」はない。
「失くしたものを数えるな」と自らに言い聞かせ、自分の意志を絶対曲げないようにしていたのだ。だから春山 満の人生は、そのときそのとき、すべてが真実。その為に自分の心を鍛え上げ生きていたのだと思う。
我々は、春山 満にはなれないかもしれない。
しかし、それぞれが信念を持ち、自らの心を鍛え続ける生きかたはできる・・・。
今回のラジオでも言っているが、モノの見方には2つの局面があると思う。例えば難病になり、社会や環境を恨む人もいれば、難病や不遇をバネにする人もいる。どちらが正しいか。僕には分からない。しかし、僕は父の生き方を見てきた。そして、人間にはどうしようもない宿命があることを学んだ。
僕は比較的経済面では豊かな家庭で育ったと思う。しかし、僕は父の歩いた姿を見た事がない。キャッチボール一回したことがない。思いっきり怒られた時にも、殴られたことがない。成人してお酒が飲めるようになり、コップを持って乾杯したことがない。
誰にも変えられない宿命は、誰にでもあると思う。父が難病だからといって、父の気持ちが分かるわけでもない。だから理解しようと考えたことはない。
僕からすれば難病であろうがなかろうが、親父としては変わらない。残念ながら、どれだけあがいても変わらないことはある。だからといって悲観的になるのではなく、今の環境、状況をどれだけ活かせるかだと思う。そうやって前を向き進んでいる人には、必ずチャンスを掴む“チャンス”が現れると僕は信じている。
株式会社あすき 代表取締役 会長 1973年3月8日 東京都生まれ。 |
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 春山 満の長男として1985年に生まれる。
高校を卒業後、ハワイの大学へ留学。その後アメリカ ネバダ州のUniversity of Nevada, Las Vegasへ編入。
2007年10月、春山 満からビジネスを学ぶため、株式会社ハンディネットワーク インターナショナルへ入社。
2012年7月、同社 取締役に就任。
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24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |