今週もゲストは春山 満の最後を看取った、在宅医療の田村先生。
今回のテーマは、簡潔に言うと、どこで「死」を迎えるかということである。ちなみに私は、最期は居酒屋でむかえたい…。要は、騒がしいところで死にたいということだ。もちろんそれぞれ考え方は違うと思う。
延命するだけならあまりいい感じがしない。日本は長寿国と言われるがそれは本当なのだろうか?ただ、長く生きているからいいのか?それは全く違うように思う!
残された時間を沢山の人との関わりを尊重して過ごすのと、ベッドの上でチューブにつながれ無理やり延命されて死ぬのと、どちらがいいだろうか?
ほとんどの方は前者だと思う。ただ、見送る家族は悲しみの中で、相反する思いと葛藤する。1日でも長く生きて欲しい…。もちろんわかる。私も同じ立場ならそう考えると思う。
春山 満は自宅で死にたいと言っていた。生前、家族と自分の死について真剣に話をしており、その意志のとおり自宅で最期を迎えることができた。私は亡くなった春山の顔を見た時、号泣した。今思い出しても涙がでてくる…。しかし、本当にいい顔をしていた。私の人生全てを変えてくれた師匠は、最期までカッコよかった。今でも心の中でしっかりその時の思いを感じている。
ちょっと話はそれましたが、「死」は全ての人に100%起こる。だからこそ日頃から家族と「死」について真剣に話すことが大切だと思う。
僕は父を亡くし気づいたことがある。人の死は、その身近にいる人をさらに強く成長させる大きなきっかけになるということだ。もちろん亡くなり方はいろいろであるが、僕が言っているのは人生を全うして迎えた死だ。父は享年60歳と日本の平均寿命から見ても若い。しかし、長生きするのも大事だが、それよりも納得した生きた方ができたかどうかという中身の方がより重要だと思う。
父は進行性筋ジストロフィーを20代で患い、30代後半には首から下の運動機能を全廃。ただ失くしたものを数えるのではなく、残された機能を120%活性化して生き抜いてきた。最期を迎えたのが自宅のベッド。最期は病院ではなく自宅で迎えたいという希望を叶えることができた。そして、父が亡くなった翌年、入れ替わるように子供が生まれた。父を亡くして数か月後に身籠った子だった。
人生ってつくづく不思議だと思う。偶然と言われればそれまでだが、必然のような気もする。なぜなら、機嫌が悪い時の息子の顔はビックリするぐらい父に似ている(笑)。この1年たくさんの方に「お孫さんを見せてあげることができれば良かったのにね」と言われたが、僕は嘘ぶくように「父も孫を見られるとは思ってなかったし、僕も見せたいとも思っていなかった」と答えていた。しかしここ最近、「見てたら喜んでただろうな」とふと考える時がある。ただそんなことを言っていても仕方がないので、じーちゃんの伝説をこれから息子にしっかり語っていこうと思う。
株式会社あすき 代表取締役 会長 1973年3月8日 東京都生まれ。 |
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 春山 満の長男として1985年に生まれる。
高校を卒業後、ハワイの大学へ留学。その後アメリカ ネバダ州のUniversity of Nevada, Las Vegasへ編入。
2007年10月、春山 満からビジネスを学ぶため、株式会社ハンディネットワーク インターナショナルへ入社。
2012年7月、同社 取締役に就任。
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24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |