今回は春山 満の主治医の田村先生がゲストである。前回も、「治療はストーリーが大切だ」と大変興味がある話をされていた。さて、今回の放送の中で、哲朗社長が素晴らしい言葉を発せられていた。
「戦わずして受け入れる…」
これは春山 満の難病を例にした話の中ででてきた。春山 満は難病で苦しんではいなかった、難病を受け入れ、残された能力を最大限に発揮していた、と。これってものすごく大切なことである。世の中残念ながら、懸命に努力してもできないことがある。私は、それが能力・個性だと思っている。だって夢や希望だと言ったって、叶わない人がほとんどなのだから。だからこそ受け入れないといけない。自分というものを…。
私がこれからどう頑張ってもできないことは沢山ある。だからそれを受け入れる。自分の土俵はどこなのか?これも何度も何度も自問自答する。そしてこのステージであれば勝負ができる!と思ったら、我武者羅にやる。私は春山 満から強烈な教育を受け、毎日自問自答し、そしてそれが見えた。42年必死に考えた結果である。
だから今、毎日破れかぶれ(笑)。やけになってますよ(笑)。でもね、一度きりの大切な人生、私は今の自分が大好き。きっと春山 満が生きていたら、「やるなぁ」と言ってくれるのではないだろうか?人間には限界はある。ただ自分を受け入れられたら、必ず自分なりの土俵が見えてくる。私はそう信じている。
僕はまだ30歳になったばかり。正直、死に直面するような経験をしたことがない。自らの死を意識したこともない。ただ、今も死に一歩ずつ近づいていることは事実である。父は60歳でこの世を去ったが、生きた年月の長さより、いかに生き抜いたかが重要ではないのかと、僕に突きつけて逝った。
変えることの出来ない宿命と戦っても仕方がない。諦めるのではなくその宿命を受け入れ、限られた環境を120%活用することが出来れば必ず新たな扉が開く。
ないもの強請りし、文句ばっかり言ったところで何も変わらない。だったら今ある環境を活かす他はない。一生一度の人生、宿命を受け入れ運命を切り拓き、そして最後には自らの命を自らが立てる。立命という憧れに向かって。
株式会社あすき 代表取締役 会長 1973年3月8日 東京都生まれ。 |
株式会社ハンディネットワーク インターナショナル 春山 満の長男として1985年に生まれる。
高校を卒業後、ハワイの大学へ留学。その後アメリカ ネバダ州のUniversity of Nevada, Las Vegasへ編入。
2007年10月、春山 満からビジネスを学ぶため、株式会社ハンディネットワーク インターナショナルへ入社。
2012年7月、同社 取締役に就任。
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24歳より進行性筋ジストロフィーを発症。首から下の運動機能を全廃。1991年ハンディネットワーク インターナショナル設立。幅広いネットワークと体験を通した独自の視点と着眼で、オリジナル商品の開発や大手医療法人・企業等のコンサルティングなど幅広く活躍。2003年、米国ビジネスウィーク誌にて『アジアの星』25人に選出。 |